小包を日本へ送る。陽関、西千佛洞

今日は朝10時におみやげもの屋へ行って、日本へ荷物を送ってもらうことに
なっている。

9:30ごろに荷物をまとめて、ホテルを出るが、ヨーグルトに心をうばわれる。
日本人バックパッカーが1人。今日の予定を告げて、その場でヨーグルトを
飲み干す。びんは持ち出しできないようだ。

おみやげ屋に到着。荷物を一通りみせる。
夏河で買ったチベッタンナイフはだめなようだ。

荷物を店に置いて、郵便局へ向かう。
航空便で700元と言われたので船便500元にすることにした。帰路にて、布を買う。
20元くらい。

梱包作業が始まる。一回り小さいスプライトの箱につめて、布で縫う。
トイレに行きたくなった。日本語の話せるお姉さんがトイレまでつれていってくれた。
2角で用を足す。外で待っていてくれた。

必ず日本に荷物は送るということなので店をでる。日本に着くのは約20日後。

帰りに敦煌飯店にて客引きにあった。
陽関、西千佛洞に、1人100元2人で200元でつれて行ってくれるそうだ。
人集めをしようと思った。
帰りにいつもの売店で、カップメン、ソーダ、ビスケット等を買って40元。
ホテルへ戻り、荷物を少し整理して昼食。ニコニコ食堂で10元。

テラスにいた日本人鈴木さんに声をかける。
敦煌飯店に着いたら、どうやら即出発らしい。
少し焦ったが、マイクロバスへ乗り込む。

陽関へは市内から約90km。遠くまで地平線が見える。
アスファルトの道を過ぎ道はだんだんとマニアックに。
並木道と、小川のさせらぎの中を車が走る。
まさにシルクロード石坂浩二さんのナレーションが聞こえて来そうだ。

陽関から見る沙漠は、赤と緑のうねりのようだ。赤は酸化鉄だろう。
緑とも黒ともつかない色は光のかげんからだろうか。
陽関では入場料をいくらか払う。
ミネラルウォーターが売ってある売店では、ベンチとひさしがあり、いくつか石碑が
立っている。
王維の詩、西の方陽関を出づれば故人無からん。の西方が広がっている。

売店の人が、ローランとウルムチの方向を教えてくれた。オカリナを売りたかった
ようだが、買わなかった。

鈴木さんは白馬に乗って記念撮影。とても満足なようだ。
馬の客引きは「馬に乗って」と、へんな日本語を使うから、
「馬に乗って下さい。」と、正しい日本語を教えてあげた。
「いやなやつ〜」とは鈴木さん。

烽火台を何枚かスナップして出発。
水を買って運転手を呼ぶ。運転手はマージャンをやっていた。

車は西千佛洞へ。途中、でかバスとすれ違う。っそこで話したことは、
今日は西千佛洞は見ることができないそうだ。
それでも行くか行かないかの問いに、行くとした。
でかバスの人から、ぶどうをもらった。エメラルド色で、とても甘い。

着いた西千佛洞は堅く閉ざされていた。
中から出てきた老人が、めんどくさそうに扉を開けてくれた。
西千佛洞と東千佛洞の中心に莫高窟がある。この3つの石窟は、ほぼ同時代の
ものだそうだ。

川の下流側には住居跡がいくつかある。れき岩の岩肌をくりぬいた
単純なものだが、天井についたすすなどから生活が感じられた。
ごみがすててあることは、チャイニーズファックの気持ちになる。


踏み場ないはしごを登って記念撮影。運転手にも登るようにすすめたが、
こわがっていた。
実際、降りるのはとても恐かった。

かつては大河だったのだろう。今は2mほどの小川だが、その両岸は20m位の断崖が
そびえている。断崖に登って記念撮影。かっこよくとれただろうか。

断崖の底を下流へ向かう。いくつか途中に開いている穴は住居あとだろう。
この洞窟には神々しさを感じた。

のどはカラカラ。カメラのケースを失してしまった。鈴木さんが探してくれたが
見つからなかった。
西千佛洞は結局入れてもらえず、外からながめるのみとなった。
規模は小さく、20窟余りの石窟が後代によってつくられた堅い扉に閉ざされていた。
表面のセメントは近代の修復だろう。
西千佛洞はしばらく一般公開しないようだ。莫高窟へ行けとの管理人の声が耳に残る。

帰りの車中は無口。のどはカラカラだ。
敦煌飯店についたら、運転手は1人200元だという。からかっているだけだったが、
少し腹が立った。100元払って、ニコニコ食堂で水を買ってホテルへ戻る。
今日の宿代を払うのを忘れていたので、英語でフロントのお姉さんにあやまる。