莫高窟275,45.チャリで鳴沙山

ニコニコ食堂で朝食を摂りながら莫高窟へ向かうマイクロバスを探す。
19日のツアーのバスの車掌さんと(園田くん似)がマイクロバスの中から
目が合ったので手を振った。

莫高窟へは別のバスで 20元。これも実はツアーバスだったらしいが
白馬塔や鳴沙山には行かないと告げる。

莫高窟は枯河に面した南北に伸びる石窟で、その北側約 1kmは
古代石窟を開いた人々の住居跡だと言われている。

枯河を歩きながらスナップを撮る。間近に見たかったのだが、柵が
はられていて中には入れない。いくつかの石窟もあるようだ、
扉がつけられている。その中の 1つから中国人達が出て来た。
あっちへ行けと言っているようだ。無視するがあんまりうるさい
ので消えることにする。

枯河を隔てて莫高窟の内容を展示した博物館がある。
ここは日本の無償の投資により作られているそうだ。
チケット売場のメイヨーおばちゃんにつかれて、入場はあきらめる。

莫高窟を北から南へと外から眺める途中にいる教養のないちまらない日本人
にはたくさんすれちがった。

南の端にたどりつうと、そこはあいもかわらず鉄条網がはられているのだが
登れそうだ。鳴沙山と同じ砂質の斜面を登る。

日本人らしき人物が下から登ってきた。
日本人ですか? との問いかけから返ってきたのは
香港人です。という日本語だった。英語で 1人かたお聞かれた。
もちろん。旅なんて 1人でするものだ。

たどりついたのは一面の砂漠、これは鳴沙山とはまた違う本来の
砂漠だった。地面は平坦で小学校のグラウンドのような表面と
礫の大きさで、遠くには険しくきりたった三危山とうねった
鳴沙山。それが溶けあっている。

莫高窟の砂による埋没を防ぐため防砂ネットが張られている。遠くまで。
二重、三重のネットが一直線に続く。

枯河にしても莫高窟上方の砂漠にしろ少し外れると誰もいない。

おみやげ屋をひやかしていたら、 3日前の莫高窟の日本語を話せる
ガイドさんに出会った。

別料金の窟は見ましたか? との問いに対して、いろいろ教えてもらうことにした。
接待所に行けば、他に日本語のガイドがついて別料金の窟が見られるそうだ。
ただし 2:30 から。今は 12:00。昼メシでも食うか。

みやげもの屋にいた日本人留学生に声をかける。彼女の名前は河地千代子さん。
なかなか可愛い。23才。連れの子は大野淳子さん。20才。

一緒に昼飯を食べながら別料金窟についてお話しした。OKだそうだ。
時間はまだあるので、枯河を隔てた博物館に出向くことにした。

人民料金でチケットを買ってもらって 8元。博物館はまだ増築中で
展示物はまだ少なかった。

内部にある石窟の複製はなかなか良かった。
ライトアップされているので、壁画などは昨日みたものよりずっと良い
位だったが、塑像はやはり微妙にちがっていた。

代表作である 45窟盛唐の美人がなかったのは残念だった。

二階ではチベット仏教美術展をやったいた。チベット仏教主神交合図
の前で河地さんへの説明に困ったが、クールに答えることにした。


涸河か砂漠を彼女達にみせたかったのだが、時間も丁度よくなったので、接待所
に行くことにした。おみやげ屋で見たネックレスはラクダの骨でできているそうだ。
彫られたアフリカ原住民風の面はなかなか愛きょうがある。

接待所にて交渉する。275窟交脚弥勒像120元。45窟盛の美人が1人60元。
とても割り高だが、最大の理由は、保存の状態のためとのガイドの説明は
納得した。

ガイドさんは河内、大野さんに午前中付いていた人だそうだ。
45窟は混んでいたので、275窟から見学をはじめる。
この窟は北涼のもので、莫高窟最古の窟と言われている。

壁画にシビ王本生譚があったのに、後に調べて気づいたのだが、
見落として残念だった。
窟に入って右側一番奥の交脚仏が一番良かった。

45窟は莫高窟最大の傑作といわれている。右側の菩薩は
盛唐の美人といわれ、おみやげもの屋でも飛天ホテルでも、いたるところに
複製が立っている。
45窟は模写作業の途中だったらしく、たまたまガラスのついたてがなかったので
得した気分になった。

河地、大野さんが午前中見なかった窟を案内してもらうことにした。
外国人料金で甲票を買ったので、ついて回ることにした。
先日はみていない窟ばかりだっので、まあまあだった。

バスに乗って敦煌市街へ。10元。

両替を2人がしたいというので飛天ホテルで没有から、中国銀行まで徒歩。
6:30までやっているそうだ。レートは840元。
日に日に日本円は弱くなっているらしい。

三人で夕食をとる。30元。二人にはクチャから手紙を出すと約束する。
二人は明日、嘉峪関へ。7:30発だそうなので、これでお別れ。

ホテルに戻って、干しておいたミネラルウォーターのボトルを取ってこようと
思ったが、捨てられていた。

ニコニコ食堂のレンタサイクルで鳴沙山へ。
河地、大野さんは、バスで行くそうだ。目であいさつして、南へ走る。

案外道乗りは遠い。到着はしたのだが、自転車置場に停めて料金を払えと
言われる。
引き返す。西方へそれてまた鳴沙山へ向かう。

アスファルトの道をでて、泥とも砂ともつかない田舎道を往く。これは迷うな。
と思いつつも先へ進む。
途中、自転車の西洋人に出会う。考えていることは同じようだ。彼は既に
鉄条網を越えてきたらしく、ハードだった。と英語で語ってくれた。

さらに奥へ進むと、砂の斜面。自転車の位置を忘れないよう、風景を頭に
たたきこんだ。

実はたどり着いたのは、入口のすぐ近くで、ラクダがつけている鐘の音と人々の
ざわめきが聞こえる。

ミネラルウォーターのボトルを手に入れるために、夜店の方へ向かう。
砂をつめてもって帰るためだ。
特に問題なくボトルは手に入った。ぬるいミネラルウォーターを買う。5元。戻る。

柵を越えて鳴沙山へ。日は落ちる直前、ペットボトルへ砂をつめる。
崩れる砂が水のように流れる。
足あとをつけて、ペットボトルと記念撮影。この斜面を越えると、一昨日の風景が
見られるのだろうが、
登るのは大変な上に、公安がでてくるとやばいので、降りる。

自転車をなんとか見つけて帰路につく、砂のような畑道は、なかなか自転車が
走らない。


本当に道に迷った。15分位、道に戻れなかった。暗闇に動く影に向かって、
思わず、すみません、と言ったらロバだった。

わりと広い道にでることができた。行きとは違うがまあいいか。
野良仕事帰りの農夫が北へ向かっている。馬車をひいて、この真っ暗な中で、
アスファルトの道に出た時は、とても助かった。ラクダとすれ違う。
鳴沙山の観光用のラクダだろう。

敦煌市街へ向けて、北へ、真っ暗な道は、アスファルト道では車や人が恐い。
民家の明かりはとても、のどかで、まるで昔住んでいたような気になる。
光は蛍光灯の青白い光だった。

ニコニコ食堂へ到着。自転車代は2時間で2元。
砂を見せたら、店の奥さんは楽しそうな顔をした。
カフェには日本人がいたが(女の子も)水を買ってホテルへ戻る。